The skies belong to everyone ! Now, let us take back our 'Shattered Skies' !

おばあちゃん

今日、午前4時半頃、母方の祖母が亡くなりました。92歳。
私にとっては、おばあちゃん。母の実家がすぐ近くで、よくウチに来てくれていた。


先日、といっても数ヶ月前、通りすがりに偶然会ったとき、車いすで押されていたおばあちゃんは、症状が進んでいたのか、すでに私のことを覚えていなかった。
記憶がない、忘れる、忘れられる、ということは、お互いにとってずいぶん残酷なことだと最近強く思う。だからといって、それが悪いと言っているわけじゃない。
お互いの生きた証が、存在しなくなってしまうのは、何かとてもつらいことのように思う。


思い出すのは、昔、私が小学生の頃、毎週土曜日の午後になると、私の実家に来てくれたこと。
同居している父方の祖母(私を育ててくれたばあちゃん)と、いつも土曜日に、お茶を飲みながら楽しそうに夕方まで話していた。
当時私は野球をやっていたので、練習に出かける少し前に来てくれた。「ちょっとでごめんね」と、いつもお小遣いをくれた。
いつも、にこにこして優しいおばあちゃんだった。


それから中学、高校、大学と進み、おばあちゃんの体調が思わしくないのか、来る回数も減って、次第に会わなくなっていた。気が付いたら、一人では動けなくなっていた。


時が経ち、私も歳を重ね、たまたま近所に引っ越したにもかかわらず、なぜか会いにいくことができなかった。あんなに近いところに住んでいたのに。毎日家の前を通っていたのに。


先日も私の息子が産まれたその日、同じ病院に入院してきた。


おばあちゃんに何もしてあげられなかった。


今日、線香をあげに立ち寄った。


冷たい体を、寝ている姿を見て、すっかり痩せてしまって、こんなにも小さくなってしまったのか・・・苦しまずに逝けたのだろうかと、頭の中で思うことが沢山湧き出てくる。
何も恩返しをできなかったと後悔ばかりが浮かんでくる。


おばあちゃん、たとえ忘れたとしても、私はあなたの孫です。


いつか私がそちらに行ったとき、また会えるといいですね。私が言うのもなんですが、今までよく頑張り続けたと思います。
私の母は「つらいことばっかりだったんじゃないか」と話していましたが、そんなことはないと思う。戦争を生き抜き、子供に恵まれ、孫も見ることができ、まわりに沢山いたんだもの。
どうぞやすらかに。

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