なんでなんで
とある記事を読んで、ハッと思った。
たしかに日常で身近な人と話をする際、
「なぜ」「なんで」という疑問詞を多用したりされたりすることが多い。
この「なぜ」とか「なんで」という言葉、相手には圧迫感を与え、
相手との心理的な距離を離す気がする。圧迫感どころか、完全にストレスになる。
この言葉、理由を問うだけならまだしも、ただその事実を問い詰めたいだけだと思う。
「なんで言われたことができないの」
「なんで片づけられないの」
「なぜ連絡をしないの」
その人より上の目線、優位な立場に立って、その事実で相手を問い詰めたいだけ。
言われたほうが理由を考えようにも、ショックで頭の中が真っ白、
論理的思考が出来ない状態で説明が不可能なのを分かっているのに、
ただ相手を叱責し、打ちのめしたいだけ。
その理由を問うのが本質なのではないと思う。
出来なかったことに対する怒りをぶつけているだけなんじゃなかろうか。
感情が先行して相手への伝わり方を全く考慮せず、
自分だけの怒りのはけ口で発してしまう言葉じゃないかと。
確かに叱責は必要だろうが、その対処法を考えるような疑問をなげかけてもらえれば、
もう少しコミュニケーションは潤滑になるのかもしれない。
頭の中が真っ白でも、こうしたらいいのかな、ああしたらいいのかなと少しずつ考えることが出来る気がする。
実際私も、後々になってから考えを整理できるようになってくるタイプだ。
私も今後はこういった言葉を使わないよう心がけることにする。
言葉を選んでるつもりがまったく逆の結果になることが多々あるので気を付けたい。
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Comments
- PostedSeptember 25, 2008 6:00 PM
- Autherkomacchi
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